徒然な毎日よ、ありがとう

変化のない退屈な毎日に感謝し、たくさんのありがとうをみつけるブログです。

野菜嫌いの2歳の息子でも食べてくれたレシピ。あれやこれや~ハンバーグ編~

2歳の息子は、全然野菜を食べてくれない。

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上のお姉ちゃんは、茹でただけのブロッコリーやニンジン、大根は食べてくれたし、ピーマンなんかも軽く塩コショウして炒めただけで食べてくれた。

 

息子は、少しでも硬かったり、そのままの形だったりしたら、全然食べてくれない。

 

野菜を食べてくれないと、母親としては心配。

 

そこで、

そんな息子でも食べてくれたレシピを記録として、ブログに書いておこうと思う。

 

そして、同じ悩みを持つママがいたら、ほんの少しでもお役に立てたらいいなぁと。

 

今日は、

ハンバーグ!

ハンバーグはわが家では無敵レシピ。

ひき肉に、なんでもかんでも、

みじん切りにして入れてしまえば、

パクパク食べてくれる。

 

材料

豚ひき肉

冷凍した豆腐

玉ねぎ

にんじん

ピーマン

えのき

パン粉

牛乳

塩コショウ

ナツメグ

 

ケチャップ

中濃ソース

砂糖

 

ハンバーグのすごいところは、分量はテキトーでも、火加減だけ気をつければ、かならずおいしくできちゃう。

分量を計らなきゃいけないレシピって苦手なので、テキトーでも美味しくできる料理ばかり。

 

まずは、

野菜たちは全部みじん切りにしておく。

凍豆腐は解凍して、水をぎゅっとしぼる。

①を全部合わせて、ざっくり捏ねる。

 

あとは、好きな大きさに丸めて

中火で焼く

焼き色がついたらひっくり返して

蓋をして、弱火にして15~20分焼く

 

焼けたら、肉汁がたくさんでているので、

ハンバーグをいったんとりだして

肉汁に②を入れて、煮詰めてソースを作る。

 

ハンバーグをソースに戻し入れて、絡めれば完成。

 

とりあえず、ひき肉料理は、

お野菜を

こっそり

どっさり

忍ばせられるから

最高。

 

これで、

母親として

子どもに野菜を食べさせなくちゃという

強迫観念から

逃れられる(笑)

 

誰か1人でも

この情報がお役に立てますように。

 

徒然な今日も、

ありがとう。

 

人を惹き付ける、魅力や色気ってなんなのだろう。

人は、どんな人に魅力や色気を感じるものなんだろう。

私は、どんな時、どんな人に興味を持ち、惹かれているのか、ぼんやり考えてみた。

   

私が魅力や色気を感じる人は、

こんな人。

 

自分の好きなものをしっかり持っている人。

好きなものを貫くことは、ときに辛くて大変なこともある。

周りから批判されることだってある。

それでも、自分が好きだと思う気持ちに、

嘘をつかない、

嘘はつけない、

まっすぐで

でも不器用で

一生懸命な人。

   

自分に素直に生きるということは、

けして楽なことばかりではないけれど、

それでも

自分が好きだと思う気持ちに

正直に

真摯に向き合う

そんな姿に

私は、魅力を感じたり色気を感じてしまう。

 

どこか、

切なくて、

でも奥底に感じる強さみたいなもの。

 

そんな人をみると、

ものすごく惹かれてしまう。

 

私には、

魅力や色気はあるのだろうか?

人を惹き付けるなにかを持っているのだろうか?

 

 

自分に正直に、

まずは

大好きなもの

大好きなひと

大好きなこと

それを一つ一つ思い出すことから

それから始めよう。

 

魅力的な人になりたいなぁ。

 

そんなことを思った

 

徒然な今日も、

ありがとう。

 

 

 

アナログ人間な私でも、Googleアドセンスの審査に合格することができた奇跡

ブログを始めて、1ヶ月。

やっと、やっと、Googleアドセンスの審査を通って、なんとか、こんとか、ブログに広告を貼ることができた。

 

ブログを書くことで、ちょっとしたお小遣いが得られるならと、安易に始めたことだったけど。

 

毎日、毎日、検索を繰り返して、やっとここまでたどり着いた。

 

それでも、まだアドセンス収入はゼロで、むしろ、ドメインはてなブログの有料版を使っているから、赤字なわけだけど。

 

やってみないと、気がすまない性格なので、これも経験値をあげるいい機会だと、なんとか前向きに、そう思うことにしよう。

 

そして、ブログを書き続けること、

これもまた、

あらたな挑戦として、

気長に楽しみながら頑張っていこう。

 

私は、

 

リーチできません。

 

これにかなり、苦戦したのだけど。

 

色々と検索して、改善点をやり直して、それを繰り返して。

 

もうダメだぁ。

 

って、いったん諦めて。

 

ブログを書くことにだけに、

集中してみたり。

 

それでも、やっぱり諦めきれなくて、

 

ある日、

もう一回チャレンジしたけど、

やっぱり、

リーチできません。

 

でも、

そのまま続行するっていうところに気がついて。

 

なんとなく、押してみたんだけど。

 

そしたら、

 

3日後くらいに、

 

合格しましたっ!って通知が届いた。

 

リーチできません!って、

 

今まで、なんだったのか。

 

結局わからないままだけど、

 

なんとか、無事合格できた。

 

だから、もし、今、なにかを諦めかけている人がいたとしたら。

 

 

諦めないでと言いたい。

 

継続は力なりって、

 

本当なのかもしれない。

 

 

 

 

そんなことを思った、

 

徒然な今日も、

 

ありがとう。

 

 

 

これからのコミュニケーションは、プロレスでいこう!

いつの間にか、アラフォーになった私。

 

昔から、よくまわりの人に言われていた言葉。

 

物事は、白か黒だけでは決められないことがあるんだよ。

とか、

 

直球勝負しかできないんだね。

とか、

 

世の中、いい人ばかりじゃないんだよ。

とか。

 

そんなことをよく言われてきたけど、

そんなことを言う大人は、

どこか、なにかを諦めている気がして、

そんな言葉や、そんなことを言う大人が、

あまり好きじゃなかった。

 

人は、熱意をもって真剣に向き合えば、いつかわかりあえると信じたいし、真面目にやっていれば、必ず報われる日がくると思いたかった。

 

だけど、気づけば私もアラフォー。

立派な大人。

 

やっと少しずつ、

そんな大人な言葉を自分なりに納得できるようになった。

 

もちろん、直球勝負も好きだか、

そればかりでは、自分もまわりも疲れる。

 

ときには、プロレスのような演出が、コミュニケーションには必要だ。

 

それは、けして、

不真面目、ということではない。

 

人を楽しませるための演出。

わざと技にかけられたり、

おおげさに痛がったり。

 

プロレスは、真剣に一生懸命に、みんなを楽しませるために、演じているのだ。

 

アラフォーは立派な大人。

 

正義感をふりかざし、

なんでも直球勝負は、青春時代だけで十分だ。

 

これからは、全力で、みんなも自分自身も楽しめるプロレスのようなコミュニケーションをとれる人になりたい。

 

そんなことを思った、

徒然な今日も、

ありがとう。

 

 

悪い癖がでてしまった日~過剰な娘への心配

昨日、娘が小学校から帰ってきて、宿題を始めようとしたときのことだった。

 

あれ?定規がない!

と言った娘。

 

私 : 明日、学校に行って先生に、落し物で届いてなかったか聞いてみたら?

 

娘 : 先生に聞いても、知りません!って言われるだけだと思う。エプロンのときも、、、

 

私 : ん?エプロン?エプロンがどうしたの?

 

娘 : こないだ給食当番でエプロン着ようと思ったら、なくて、、、

先生に、エプロンがありませんっていったら、知りませんって、、、

 

私 : え?それで、どうしたの?

 

娘 : 給食当番できなかった。

 

私 : ちょっと、それ、先生も冷たいよね?

 

娘 : でも、小学校は幼稚園とは違うから、自分のことは自分でやらなきゃいけないから、仕方ないんだよ。

 

このあと、私の悪い癖がでてきてしまった  

 

私は、このやりとりで、こんなことを思った。

 

娘の小学校では、エプロンはいつも巾着に入れて自分の机の横にかけている。

いつもあるはずのエプロンが入った巾着が、机にかかっていなかった娘。

給食当番を楽しみにしていた娘。

しっかりものの娘。

その娘が、先生に助けを求めたのに、

知りません!って。

 

結局、給食を食べ終わったあとに、他のお友達の机にエプロンがかかっていたのを発見して、エプロンは見つかったのだけど。

 

先生、知りません!

 

そうじゃなくて、

 

エプロンがなくなっちゃったみたいなんだけど、ちょっとみんなで探してくれるかなぁ?

 

とか、一声かけてくれたら、

すぐに見つかったんじゃないかって。

 

娘、一人だけエプロンを着られずに、楽しみにしていた給食当番をできなかったことを思うと、ザワザワとしてしまったのだ。

 

そこから、さらに心配性の渦に、、、

 

もしかしたら、

定規がなくなったのも、誰かがイタズラして、隠したんじゃないかとか、

娘が困っていても、先生もお友達も誰も助けてくれていないんじゃないか、とか。

 

そんなことまで、考えはじめてしまったのだ。

 

そして、娘への取り調べが止まらない。

途中から、なんのために誰のために、こんなにも、しつこく訊いているのか、わからなくなってきた。

 

そう、これは私の悪い癖だ。

 

 

娘を心配している=大切にしてる、

ということではない。

 

娘を心配すること=負の呪い

 

私も、母親の心配が大嫌いだった。

今でもそうだが、

私の人生なのに、勝手に心配してきて、負の呪いをかけてくる。

私のちょっとした愚痴や不満も、全力で受けとめて心配してしまう。

母親のことは、大好きだし信頼もしている。

だけど、私の人生を勝手に心配しないでほしいと、いつも思っている。

 

それなのに、

私が1番嫌がることを、

私も娘に、同じ事をしてしまっているのだ。

 

これは、私の悪い癖。

 

娘を信頼して、

自分の人生を自分で生きていけるように、

信じて見守る。

 

それが、大切。

 

そう、それが大切なのだ。

 

娘の私

母親の私

 

いつもいつも葛藤しながら。

 

それでも、

ただ信じること。

 

信じて見守ることは、

本当に本当に大変だ。

 

そんなことを思った、

まだまだ未熟者な母親だけど、

それは、それでいい。

 

徒然な今日も、

ありがとう。

 



長子と次子、親になってみて納得。性格の違いはどうしてあるのか。

わが家には、7歳の娘と2歳の息子がいる。

 

母親として7年目の、まだまだ未熟者な私だが、やっと少しだけ毎日に余裕がでてきたのかなぁ~と思うこの頃。

 

そこで、ふと振り返ってみた。

 

あれ?

娘が2歳くらいの頃って、私、もっと子育てしてて色々なことに悩んで、イライラしたりピリピリしてたよね?

 

あれ?

息子は、今2歳だけど?

魔の2歳児だよね?

イヤイヤ期だよね?

トイレトレーニングそろそろはじめなきゃだよね?

 

あれ?あれあれ?

 

息子といえば、

 

余計な手出しなんかすると、

じーぶーん!!!って言うし。

 

お菓子食べたいって、しつこく泣き叫ぶし。

 

ところかまわず、床に寝そべるし!

 

ちょっとでも目を離したら、平気で迷子になるし!

 

ご飯なんかも、ちゃんと最後まで座って食べることもほとんどないし~

 

トイレトレーニングもまだまだはじめていないし。

 

完全に厄介な2歳児なのに。

 

それなのに、、、

それなのに、、、

全然気にならない。

 

娘のときは、

一つ一つ気になって、

早く歩くようになってほしくて。

お喋り上手になってほしくて。

お箸ちゃんと持てるようにとか。

挨拶はしっかりできるようにとか。

それが上手くできない娘をみて、

すごく焦っちゃうことがよくあって。

 

まわりの子と比べちゃいけないこともわかっていたけど、やっぱり気になって。

 

私の母親から、

まだ、オムツはずれていないの~?なんて言葉にいちいち反応してピリピリしたり。

 

今なら、

母親に、まだオムツはずれてないの~?なんて言われたって、

そのうちはずれるから大丈夫、大丈夫!って笑って答えられる。

 

そうか、これが子どもたちの性格に影響を与えていたものだったんだ。

 

母親の余裕の違い。

 

娘には、

知らず知らずのうちに、たくさんのプレッシャーをかけ続けていた。

私の不安をたくさん押しつけてしまった。

 

あのとき、娘に感じていた育て難さというものは、私の母親としての経験不足からくるものだったんだ。

 

そう、長子と次子の性格の違いは、

もともと生まれもった性質はあるとしても、

母親の余裕の違いで、そう見えてるだけなのかもしれない。

 

そんなことに気づいたこの頃、

娘のこと、息子のことも、

それぞれの

ありのままを受けとめて、

見守っていこう。

子どもたちはどんなことが好きで、

どんなことが得意なのか、

そしてどんな大人になっていくのか、

楽しみながら、笑っていられたら、

それが1番なのかもしれない。

 

どんな性格だって、

それはそれで、いいのだ。

 

子育てをもっと自由に。

 

それでもやっぱり不安になったり、

イライラしてしまうことは、たくさんあるけど、それはそれで仕方ないし、それもいい。

 

子どもたちには、

のびのび育ってほしいから、

まずは

私が、

のびのびしよう。

 

そんなことを思った、

徒然な今日も、

ありがとう。

 

 

 

 

ワイシャツをアイロンがけするときのBGM

私は、アイロンがけが苦手だった。

毎日、毎日やっているけど、なかなか好きになれなかった。

最近になって、色々なものたちの断捨離が終わり、ザワザワ、モヤモヤしていた感情も手放してから、

ふと、アイロンがけの最中に、

頭の中に流れてきた曲。

 

それは、

山崎まさよしさんの

セロリ。

 

ん~

頑張ってみるよ~

やれるだけ~

頑張ってみてよ~

少しだけなんだかんだいっても~

つまりは

単純に

きみのこと、好きなのさ~

 

そうか!!!

単純なことじゃないか!

好きなこと、好きなもののためなら、

人は、頑張れるものだよね!

 

今まで、

好きじゃない人、

好きじゃないもの、

好きじゃないこと、

そんなことばかりにとらわれていて、

頭と心が、ごちゃごちゃしていたけど、

色々とスッキリさせてみると、

 

つまりは単純。

 

大好きな人、

大好きなもの、

大好きなこと、

 

それに自分の全力を使おう。

 

そんなことを思ったら、

苦手なワイシャツのアイロンがけも

なんだか

少し頑張れそう。

 

そう、私は本来、

とっても単純にできている。

 

そんなことを

思った、

徒然な今日も、

ありがとう。

 

 

娘の誕生日~娘の素直な言葉に心を改める

昨日、娘のお誕生日のお祝いにと、家族みんなで遊園地にいった。

 

お誕生月の人には、お誕生日バッジがプレゼントでもらえるということなので、娘もそのバッジを付けて、いざ入園!

 

すっかり、損得勘定ばかりにとらわれるようになってしまった大人の私と夫は、

 

このバッジを付けていたら、なにかお得な特典とかあるのかなぁ~と期待してしまったが、遊園地のスタッフの方々が、

 

お誕生日おめでとう!!

素敵な一年になるといいね!

とお声をかけてくれるということだけだった。

 

朝から閉園ギリギリまで遊び尽くした娘は、とにかく大満足の様子。

 

よかった、よかった。

 

そんな娘に、なにが1番楽しかったかなぁ?

と質問すると、

 

私は、てっきり、何度も乗ったジェットコースターや空中ブランコと答えるものと想像していたが、

 

娘から返ってきた答えは、

こうだ。

 

あのね、遊園地の人たちが、たくさん、おめでとう!!って言ってくれたことが1番嬉しかった!それが1番楽しかった!

 

そんな娘の言葉を聞いて、

 

なぁ~んだ、ただ、おめでとう!!って言ってくれるだけなんだぁ。なにもお得なことはないのね~。

と思ってしまった自分を恥じた。

 

人から、

おめでとう!!

ありがとう!!

などと言ってもらうことを素直に喜べる心を忘れちゃいけないなぁ。

 

そして、私も、

たくさんの素敵な言葉を贈れる人になりたいなぁ。

 

そう改めて思った。

 

徒然な今日も、

ありがとう。

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騙されやすい私

私は騙されやすい。

すぐに人を信用してしまう。 

 

純粋なんだねぇ。

育ちがいいんだねぇ。

 

今まで、そんな言葉ですら、真に受けて、

ずっと褒め言葉とばかりに思っていた。

 

でも、最近気づいてしまった。

 

アラフォーにもなると、

ただの常識知らずである。

 

このブログも、私の思いなどを書いて、

少しでも広告収入が得られ、お小遣いになるならと、はてなブログも有料のものにして、お名前ドットコムで独自ドメインまで取得したのに、そもそも自分の記事が誰にも読まれていないなんて。。。

これじゃ、広告収入どころではない。

 

すぐに簡単な話を鵜呑みにしてしまう、この幼稚な自分をそろそろ本気で卒業したいと思う。

 

そんなことをつくづく思った、

徒然な今日も、

ありがとう。

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子どもが楽しんでいる姿

最近、小学生になった娘がダンススクールに通いはじめた。

今まで、習い事には全然興味がなかった娘が、自分からダンスを習いたいと言ってきたのだ。

先日、小学生になって初めての運動会があって、そこで覚えたダンスがとても楽しかったらしい。

 

幼稚園時代、学習発表会や運動会といっても、モジモジと恥ずかしそうで、控えめな娘しかみたことがなかった。

 

私は、いつも元気いっぱいに踊る他の子どもたちが羨ましかった。

 

そんな娘が、今年の運動会では、楽しそうに元気いっぱいのダンスを見せてくれたのだ。

 

私の娘への期待値は、幼稚園時代に大きく下げられていたので、楽しそうにのびのびと踊る娘の姿に、ものすごく感動し、私一人でスタンディングオベーション状態(笑)

 

娘は、そんな母親の姿がとても嬉しかったらしい。

 

ダンススクールに通いはじめてからも、練習中、終始楽しそうに、ママみてー!と言わんばかりのドヤ顔。

 

楽しそうにしている娘。

下手でもなんでもいい、

元気いっぱいのびのび楽しんでいる姿をみることは、本当に幸せだ。

 

これからも、どんなときも、どんなことも、

私は、我が子の1番のファンとなって、応援し、見守りたいと心から思った。

 

もしかしたら、

そうやって、

親バカでも構わない、

手放しで、

母親である私自身が、

喜び楽しんで見守ることが、

子どもにとって、1番の活力になるのかもしれない。

 

子どもの楽しいという気持ちを大切に。

これからも、たくさんの笑顔がみられるように、

私もたくさん笑っていたい。

 

そんなことを思った、

徒然な今日も、

ありがとう。

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嫁姑問題~嫁としてどう接するのが正解だったのか。結婚8年目でようやく気づいた、逆走しまくった過去の反省。

結婚しようと決めるとき、結婚相手のお母さんがどんな人なのかということまで考えて相手を選んでいる人はどれだけいるのだろう。

 

結婚したら、相手の家族と仲良くしたいと考える人が大半で、それでも勃発してしまうというのが、嫁姑問題。

 

私は、結婚を決めたとき、結婚相手のお母さんがどんな人であろうと、仲良くしたいと思っていたし、姑にも可愛がられる嫁になろうと、なれると信じて疑わなかった。

 

ところが、気に入られようと、仲良くなりたいと近づこうと頑張っても頑張っても、一向に縮まらない距離感。

それでも、諦めきれずに頑張ったが、完全に逆走、空回りしていた8年間を反省し、振り返る。

 

よく小さい頃から、相手の気持ちになって考え、行動しなさいと言われてきたが、姑の気持ちというものは、とてもとても複雑で、結婚が決まって浮かれまくっている私には、男の子を持つ母親の気持ちなど、まったく想像することができなかった。

 

それでは振り返っていこう。

 

9年前、結婚が決まって、式の準備をしていたときのことである。

 

結婚式の資金については、彼と話し合って、親には頼らず二人で出しあってやっていこうということに。

 

なので、日取りや段取りについては、私たち二人で決めて、ある程度、流れが決まった時点で、彼の実家に二人で報告。

 

うちの実家は全然気にしなくても大丈夫だよ。と彼は言っていたが、

 

そうは言っても、きっちり報告、確認を怠らずに親の意向も聞き入れて、ご機嫌をそこねないようにと考えていた。

 

彼は、もともと口数がけして多いほうではなかった。

 

彼の実家に、結婚式の流れの報告にいっても、

 

彼 : 結婚式は、◯月◯日になったから。

場所は、◯◯◯。

あとの詳細はおいおい話すわ。

 

以上。

 

シーーーーーーーン。。。

 

沈黙に耐えられず、

 

私 : あっ、なにかわからないこととか、気になることとかあったら、なんでも言ってください!

ニコっ。

 

姑 : あらぁ~、とても素敵そうな会場なのね、◯◯ちゃん(←私の名前)の自由にしてくれて構わないから。

ニコっ。

 

私 : はい!ありがとうございます。

でもなにかあったら、ほんとになんでも言ってくださいね!

ニコっ。

 

さて、ここで問題。

この時の私の行動は、どこが間違いだったでしょうか。

 

正解は、

 

◯◯ちゃんの自由にしてくれて構わないから。という言葉を鵜呑みにしてしまったこと。

私は、お母さんのその言葉をそのまま受け止め、私たちが好きなように、式の準備を進めていった。

彼から、決定したことはお母さんに伝えてもらうようにして、なにか要望があれば言ってもらってと、着々と順調に進んでいるかのように思えた。

ところが、

ある日、突然、

 

彼 : 俺、もう母親とは価値観が合わないから、話さないことにしたから。

もう、俺の親のことは気にしなくていいよ。

 

私 : えっ??なにかあったの?

 

彼 : いや、話してもケンカになるだけだから、もういいや。

 

私 : なんで、ケンカになったの?

結婚式のことで?

 

彼 : 色々と。。。

ほんと、俺の母親のことはほっといて。

 

この時、私は、なぜ彼と母親がケンカになってしまったのか、彼はなぜ理由を話してくれないのか、まったく理解できないでいた。

 

このあと、私は最初の逆走をはじめる。

 

なぜ、彼と母親がケンカになってしまったのか?

結婚式を前に彼と母親の仲が悪くなってしまうのはよくない。

なんとか、仲直りしてもらいたい。

まず、彼には、どうしてケンカになってしまったのか問いただした。

それでも、頑なに理由を言わない彼。

これでは、一向に解決しないと考えた私は、直接、彼のお母さんの連絡先を聞きだし、二人で会う機会を増やし、積極的に仲良くなろうとした。そして、なぜ彼とケンカになってしまったのか、さりげなく聞き出そうとした。

しかし、ここでも、彼の話題に触れると、あきらかに顔色が変わるお母さん。

 

そろそろお気づきだろうか?

勘のいい人なら、もうここで、さっさと撤退するのだろう。

 

ケンカの原因は、私。

 

彼の母親からしたら、こうだ。

 

どこのどんな女か知らないが、うちの息子をたぶらかした女なのである。

今まで、言うことを聞いていた息子は、突然現れた女の言いなりになって、その女の味方ばかりする。

気に食わない。

少しでも、その女を悪く言ったら、息子は歯向かってくる。

気に食わない。

 

それが、ケンカの原因。

 

結婚式の準備をするにあたって、彼がその話をすることは、母親からしたら、なにもかも気に食わないのである。

 

本来、こうなったら私の出る幕など、どこにもないはずなのに、ノコノコとでしゃばって、でていったのだ。

それも、彼と母親の仲を取り持とうとしたのだから、本当に小賢しい奴なのだ。

 

何はともあれ、なんとか結婚式は終わった。

もちろん、彼と母親の不穏な空気はそのままだ。

 

それでも結婚生活は順調に進んでいった。

 

そして、私の逆走はまだまだ続いた。

 

結婚して、一年が経った頃、私たちは子どもを授かった。

初めてのことで、仕事が忙しい夫ということもあり、私は里帰り出産を考えていた。

普通なら、自分の実家にお世話になるところだが、私はここで、挑戦的な選択をした。

 

産前を彼の実家でお世話になり、産後は自分の実家で過ごすということを提案。

 

夫の母親との、なかなか縮まらない距離を、この機会を利用して、お近づきになりたい!

そう考えたのである。

今思えば、ほんとトンチンカンなポジティブ思考。

 

この時は、夫と母親の不仲の原因が自分だということには薄々気づいていた。

だけど、お母さんは私のことをなにもしらない。私のことを、もっともっと知ってもらったら、きっと好きになってもらえるはず。

そうしたら、夫と母親の不仲も解消するはずだと、そう信じて疑わなかった。

 

産前1ヶ月間、夫の実家での生活がスタートした。

私は、とにかくお母さんと仲良くなりたい一心だった。

お料理も頑張ったし、お掃除も頑張った。

お母さんにも積極的に話しかけ、仲を深められるようにとにかく頑張った。

少しは、仲良くなれた気がしていた。

本当の娘にはなれないけど、少しは私のことわかってくれたかなぁ。

 

そして、無事出産も終えて。。。

 

可愛い我が子を連れて、あとは1ヶ月間くらい自分の実家に戻りリフレッシュしてから、また夫の実家に戻ってきて、可愛い初孫を可愛がってもらおうと計画していた。

 

ところが!!!!

 

またしても、ここでも私は、夫の母親の地雷を踏みつけていたのだ。

 

夫の母親からしたら、

こうだ。

 

なんだかよくわからないけど、産前に嫁だけ1ヶ月も家にくるらしい。

なにしにくるのだろうか?

我が家をホテルとでも思ってるのか!

ましてや妊婦。気を使うわー。

まぁ、初孫をみられるなら、面倒みてやるか!

そう思って頑張って嫁の面倒をみたのに、初孫の一番可愛い時期は嫁の実家に連れていくなんて、やってられるか!!

親をなんだと思ってるんだ。

 

ということだったらしい。

 

産後1ヶ月、自分の実家でゆっくり過ごし、そんな夫の母親の気持ちをまったく知らない私は地獄をみることとなる。

 

1ヶ月後、可愛い初孫とのご対面を喜んでくれるとばかり思っていた。

 

ところが、事前にお伺いする、日にち時間を伝えていたにもかかわらず、

夫の実家にいたのは、お父さんだけ。

 

私 : あっ、お母さんはお出かけですか?

 

父親 : ちょっと用事があるみたいで。

 

私 : 、、、、

 

それから、二時間後くらいだろうか。

 

バタンと玄関の戸が開く音が聞こえた。

 

私は我が子を抱いて、お母さんのほうに駆け寄った。

 

ところが、、、

 

私のことも、可愛いはずの初孫の顔を見ることもなく、スルッと通りすぎ、そのままキッチンのほうに行ってしまったのだ。

 

そのあと、またすぐにバタンと玄関から出ていってしまったのである。

 

私は、頭の中が真っ白だった。

なにがおきているのか、どうしてお母さんが怒っているのか、まったくわからなかった。

 

そのあと、夕飯の時間になり、中華のお惣菜の袋を持って帰ってきたお母さんは、リビングのテーブルの上にそれをドスっと置いて、また家を出ていった。

 

お父さんが、食べようか?と声をかけてくれたが、喉を通るわけもなく。

 

私は、どうしてお母さんを怒らせてしまったのだろう。

普通なら、存在するだけでみんなが笑顔になる赤ちゃん。

無視されてしまった我が子が、ただただ可哀想で。

私のなにがいけなかったのか、自問自答を繰り返したが、その時の私にはまったくわからなかった。

 

本当であれば、一週間くらいお世話になって、初孫を可愛がってもらう予定でいた。

 

しかし、こんな状況で滞在するのはどう考えても無理だったので、急遽、夫に迎えを頼み帰ることにしたのだった。

 

玄関には、夫の母親が用意したであろう、赤ちゃん用のオムツと、赤ちゃん用の小さなお洋服が置いてあった。

 

我が子を抱いた私は、

 

こんなのいらない!

 

と言う夫にただただついて帰るしかなかった。

 

なぜ、こんなことになったのだろう。

 

夫 : 俺の母親は、ほっとくしかない。

関われば関わるほど、ややこしいことになるから。

俺は、これからも変わらず関わりたくない。

 

結婚式の準備のときもそうだったが、夫は一貫していた。

 

私にも、ずっと、そういい続けていたのだから。

 

その夫の言葉を無視して、勝手に関わっていったのは私だ。

 

それから、一年間はあっという間に過ぎていった。

その間も、写真を送ったり、メールを送ったりしていたが、返信は一度もこなかった。

 

普通なら、ここで終わりだ。

完全に拒絶されている。

夫は、関わらなくていいと言っている。

 

それなのに、まだまだ私は諦めきれない。

 

なぜ、嫌われているのか、

なぜ、無視されたのか、

なぜ、怒っているのか、

全然、納得できなかった。

 

我が子が一歳になった年、

私は、またまた、夫の実家に乗り込んだ。

 

そこで、私は、

お母さんと仲良くしたいと思っていること、

どうして、私たちを無視するのか、

なにが、気にさわったのか、

正直に言ってもらいたくて。

 

夫の母親の回答は、こうだ。

 

息子は、変わってしまった。

あんな態度をとるような子ではなかった。

◯◯ちゃん(←私の名前)は、いいわよね、息子が味方してくれるんだから。

私は、いつも一人で悪者扱い。

もう、息子のことは許せない。

だから、もう無理なのよ。

どうでもいいと思ってる。

 

ということらしい。

 

それでも、仲良くみんなでやっていきたいとグイグイと詰め寄る私に、

とりあえず、

 

まぁ、なんとかうまくやっていきましょう。

 

と、ついに折れてくれた。

 

このときの夫の母親の心境は、どんなものだったのだろう。

 

その後も、ことあるごとに、私は子どもを連れて、度々遊びにいった。

 

メールで子どもの写真もこまめに送った。

 

嫌がる夫を強引に連れて、一緒に実家に帰ることもあった。

 

すべて、喜んでくれるものだと思って。

これは、嫁の努めと思って。

いつかは、私のことを認めてくれる、

そう信じて。

そして、夫と母親も和解してくれると思っていた。

 

8年が経った。

 

家族のちょっとした問題が発生。

そこで、夫の変わらない気持ちを改めて知ることになる。

 

夫 : 俺は、結婚した頃から、なに一つ気持ちは変わっていない。

母親、自分の家族は嫌いだ。

関わりたくないから、もう俺の家族のことはほっといてくれ。

とにかく、ストレスでしかない。

 

そう言うのだ。

 

私は、理由もなく家族、母親のことをそこまで嫌いになることなど、ありえないと思っていた。

 

ずっとずっと、そう思って、必ずちょっとした誤解からのケンカなら、仲直りできるはずだと思っていた。

 

でも、ついに気づいてしまったのだ。

 

そもそも、夫の母親は、

嫁である私を最初から認めていなかったとしたら?

私と仲良くなることなど、望んでいないとしたら?

どこまでいっても、息子を奪った女で、ただの他人だと思っているとしたら?

 

そして、夫は、

結婚すると決まってからというもの、私が聞いたらショックで立ち直れないようなことを母親にずっと言われ続けていたとしたら?

 

けして、母親とケンカした理由を私には一生言えないだろう。

 

母親からしたら、息子に拒絶されている事実がなによりも辛く、嫁や孫など、どうでもいいことなのかもしれない。

 

そしてまったく空気を読まずにグイグイと母親に近づき続けた

私の行動は、

この8年間は、

母親にとってはただただ苦痛なことだったのかもしれない。

 

そう考え、振り返ると、

夫の発言や母親の行動や言動は、すべて納得がいってしまった。

 

私は猛烈に反省し、

改めて嫁という立場をわきまえることを心に誓った。

 

嫁は、姑の敵でしかない。

嫁は、姑にとっては夫のオマケにすぎない。

嫁は、単品で好かれることはけしてない。

夫が拒絶しているなら、それに従うことが健全。

 

そして、一番重大なことに気づいてしまったのだ。

それは、

ずっと、嫁として、夫の母親に認めてもらいたい、仲良くなりたい、夫の母親を好きなろうと思い続けていた。

そう思おうとしてきた。

 

だけど、

だけど、

あのとき、無視されたあの日、

ものすごく悲しかった。

傷ついた。

許せなかった。

 

そのことを誰にも言えなかった。

でも、夫は知っていたんだ。

私が傷ついたことを。

誰よりも。

 

だからこそ、より母親を拒絶し、私がこれ以上傷つかないように、守っていてくれたということを。

 

それなのに、

私はそんな頑なな夫をずっと責めていた。

私が姑に嫌われているのは、夫のせいだと、ずっと、ずっと、そう思ってきた。

 

母親と関わりたくない。

俺の家族は、ほっといてくれ。

 

夫の言葉の意味がやっとわかった。

 

夫は、8年間、

負け戦なのがわかっているのに、飛び込んでいく私をみて、どう思っていたのだろう。

 

勝手に飛び込み、勝手に傷ついて、忠告しても聞く耳を持たない私をどう思っていたのだろう。

 

もう、やめよう。

素直に、負けを認めて。

自分の気持ちに素直になろう。

 

私の理想はあったけど、

どう頑張ったってかなわないことある。

 

嫁姑問題は、永遠だ。

だけど、

夫が味方になってくれるということは、

もしかしたら、幸せなほうなのかもしれない。

 

今、私にできること、

それは、なにもしないこと。

 

誰も望んでいない頑張りは、もうやめよう。

ただ、事実を受け入れて、認めるだけ。

 

そう、それだけで、

それが一番なのかなぁ。

そんなことに気づいた

今日この頃。

 

ありのままを受け入れたら、

なんだか、

気持ちがすごく楽になった。

 

そんなことを振り返って、

改めて

徒然な今日に、

ありがとう。

 

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子どもの成長は親の喜び。やる気を大切に。

今日、七歳の娘が、ついに自転車の補助輪をはずして練習したいと言ってきた。

 

自転車を買ったのは、5歳の誕生日。

慎重な娘だったので、なかなかこわがって、積極的に自転車には乗らなかったのだが。

 

最近、まわりのお友達が補助輪なしの自転車を簡単そうに乗っているのをみて、ついに自分から、

 

ママ、補助輪はずして、練習がしたい!

 

と言ってきたのだ。

 

今までは、私がいくらすすめても、やる気をださなかったのに。

 

私は、このチャンスを逃してはいけないと、さっそく自転車屋さんに行って補助輪をはずし、公園で練習開始。

 

そしたら、なんと、なんと、たったの1時間ほどで、マスターしてしまった。

 

軽く支えてあげて、軌道に乗ったところでそっと手を離したら、なんとも簡単に乗れてしまったのだ。

 

スキーができるようになったときもそうだった。

 

4歳から始めたスキーだったが、4歳、5歳とまったくできなかったのが、6歳になって、娘からスキーに行きたいと言い出すようになり、今まではパパの足のあいだに挟まって降りてくるのがやっとだったのに、あっという間に、一人でスイスイと中級コースの山も滑れるようになってしまった。

 

子どもたちのやる気スイッチ。

それを見逃さないこと。

 

これからも色んなことにチャレンジをして、どんどん成長していく子どもたちの姿を見守ることができるというのは、本当に幸せなことだなぁ。

 

ぐんぐん自転車を一人でこいで進んでいく娘の後ろ姿を眺めながら。

 

そんなことを思う。

 

弟くんはというと、2歳の誕生日にペダル無し二輪車をプレゼント。

なんでかなぁ、下の子って、勝手になんでもどんどんできるようになっちゃうから、うっかり成長の瞬間を見逃しがち。

 

そんな、徒然な今日も、

ありがとう。

 

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こだわっていたものは?素直になって憂鬱から抜け出そう

心がザワザワするようなこと、

なんだかモヤモヤするようなことを

思いきって手放してみた。

 

そうすると、

不思議だけど、

 

新たな出会いが動きだす。

 

変わらない日常なのに、

心の中は、大きく変わっている。

 

ずっとずっと、

モヤモヤと霧がかかったような気持ちだったのに、

それが今は、雨上がりのように、

空気は澄みわたり、緑もキラキラと光ってる、そんな気持ちだ。

 

自分に素直になるということは、こういうことなのかなぁ。

 

やっと、少しだけわかったような気がする。

 

モヤモヤしてるものに、こだわっていたのは自分なのだ。

 

なんで、早くに手放さなかったのだろう。

 

素直に過ごそう。

 

太陽と緑と青空がとっても気持ちのいい

徒然な今日も、ありがとう。

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私の大好きシリーズ~新緑と青空がキラキラする季節~

子どもたちと公園で過ごす。

砂遊びをしている子どもたちの背景には、

キラキラした新緑と青空。

あ~、気持ちがいいなぁ。

大好きな季節。

 

今までは、どこか、せわしなく、

心がざわざわしていたのに、

余計な感情を手放してみたら、

時間って、

こんなに穏やかにゆっくりと

流れていくものなんだね。

 

余計なものを手放して、

大好きなものを、

もう一度集めなおそう。

 

徒然な時間に

今日も、ありがとう。


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私の大好きシリーズ~くだらないことで笑いあえる時間~

こどもの頃、

くだらないことで笑いあえた時間。

そんな時間が、大好きだった。

 

大人になった今も、

そんなくだらないことで

笑いあえる時間、仲間がほしいな。

 

くだらないことで、

ケラケラ笑う、あの笑い声。

大好きなんだよね。

 

そんなことを思い出して

人恋しくなった

 

徒然な昼下がりに

 

ありがとう。

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